サイト12さい2013年06月26日

サイト12さいありがとう壁紙が完成しましたっ。
前回の日記での予告通り。6月中に間に合いました。笑
TOPページのおほしさまから配布ページにいけます。
配布は7月いっぱいまで行います。
Roda de estrela を今後ともヨロシクおねがいします。

さて今回のイラストの中身。
水面下でボチボチとつかまえてた箱庭の住人が12人に増えたので
12周年だしちょうどいいや!という事で、今回はズラリと並べてみましたよ。

箱庭関連は、創作キャラの中でも設定がしっかりあるシリーズの絵で
ギャラリーにある絵に度々登場してる…のですが
サイトおたんじょうび用にしか描いてなかった人が結構多くて
イマイチちゃんと全員分の紹介や説明ができていないのよな…
10年ちかく頭の中に住んでいるくせにこの体たらく!
そしてまた期間限定公開の絵にしてしまったという墓穴!!

せっかくなので、配布期間中のあいだにでも、このブログ上で
箱庭の住人の説明でもしていこうかと思います。
全員分そろったら、サイトにきっちりまとめたいとも考えているので
せめてそのたたき台に!(心の声まるだし)

というわけで、数日おきぐらいに1人ずつアップしていきますので
興味のある方は時々のぞきにきてもらえると嬉しいです。
(アップ時にはツイッターでもお知らせします)

トレースの手2012年06月11日

どうも今年の春ごろから、精神状態が急降下する事がちょくちょくあり…
このままじゃダメだ、今の私はダメだ、という強い焦り。
その背後に必ずあるキーワードが「母親」なのは解っていたんだけど核心に辿り着けず
ずっと同じ手に絡め取られるような苦い状況が続いておりました。
た、っていうか、今もなんだけど(苦笑)

日常の背後で常に感じる「生きてる苦しさ」みたいなモノの根っこは父親にあるのだろうと思っていたのだけど、どうも根っこは父親だけじゃなかった。というのが最近の発見。
幼少時から私にとっての父親は、弾丸飛び交う地雷原。普通に立っててもビシビシ弾が当たって痛いのだが、読みを間違うとさらに大爆発という恐怖の存在で、自分を振り返った上で見つけられるトラウマとしては解りやすかったんだけど、その分他の要因が見つけづらかったようで。

自己イメージは、子供の頃の家庭が大きく影響するという。そして、大人になると無意識にそうなるべく、トレースしようとしてしまう。子は親に似る、虐待を受けた子がわが子に同じ事をするのもこの辺が絡むのだとか。

私の自己イメージの低さは、家庭環境によるものだ(と前に通ってた医者に言われた)
こわいお父さん、かわいそうなお母さん、出来損ないの私。かわいがられる妹。
このお母さんの「かわいそう」は、お父さんがこわいからではなく、私がいるからかわいそうなのだ。
母親はおそらく、一家の中で最も立場が弱かった。
何でもできて当たり前とされ、文句1つ言わず出来損ないの私や家族の世話をする。
お母さんは毎日疲れていた。家族の中で1番疲れているのに、1番休めない人だった。
優しい笑顔の下に怒りを溜め込んでいるのを知っていた。時々癇癪を起こして私を怒鳴り飛ばしていたし、毎日毎日苦労ばかり…とこぼす愚痴に含まれる苛立ちは私に向けられているんだと思っていた。

私の「生きてる苦しさ」を噛み砕いて説明すると、根本的な自己肯定と、幸福肯定(自分は生きてていい、幸せになっていい)の欠如であって、少し具体的にいうと、それは「お父さんの思い通りにならなければいけない、なのになれない」という罪悪感。だったのだけど、もういっこあったのだ。「お母さんのようにならないといけない、お母さんと同じ苦しみを味わうべきだ」という強迫観念。

3ヶ月くらい悶々としてたんだけど、ようやく根っこが見えてきた感じ。
溜めて放るだけでは腐るばかり。ゆるゆると、ラクになるべく、ほじくり返していきますよ。

仮面親子2012年05月28日

面白そうなヒューマンコメディがあるので観たい、としもみに言われたので、テレビ放映されてた
「みんな元気」という映画を見ました。
仕事一筋で定年退職の後に妻をなくした父親が、それぞれ大人になって自立し各地で暮らす「自慢の子供たち」にサプライズで会いに行くというのが大まかな流れ。
人の感想をみる限りでは、家族愛に感動とかいった内容が殆どなんだけど、私にとっちゃあまりにも自分の現実そのもので、実家の様子をまざまざと見せられているようで感動どころか悶々とした気分に…orzそれがある意味凄い作品だとも思いましたがw

空気の読めない、不器用だけど悪いやつじゃないお父ちゃんの演技がコミカルで最初のうちは笑っていたんだけど、会う子供たち全員が「父親が来る!」と本人には内緒で事前に電話でやりとりし、周到に準備して必死に「自慢の子供」を取り繕うあたりからだんだん笑えなくなってきたという。
小さい頃からずっと親の過剰な期待を押し付けられ続けて育った大人たちの描写が見事でした。

父は見栄っ張りな性格なのだが、この見栄を子供にも適用しちゃってるんですね。
周りに自慢できるぐらい立派でまっとうな子たちの親である、という見栄。
子供たちは、唯一連絡の取れない長男(?)…売れない画家が薬物摂取で死亡している件と、それぞれが抱える親にとっての「あっちゃいけないこと」を隠す為に嘘をつく。
親にそうなれと言われた期待に応えるべくダンサーになったのに
「お前は小さい頃からダンサーになるのが夢だったものな」と言葉をかぶせられて苦笑する娘。
(実際娘がダンスをしてるシーンが無いので、ダンサーになったという話も嘘かもしれない)
当初の夢だった指揮者ではなく打楽器奏者になった息子に「打楽器なんて自分にもできる。なんで指揮者じゃないんだ」と不満を洩らす父親。
父の訪問に合わせて立派な家を借り、高級車を用意し、別居中の夫を連れ戻す子供たち。
別れ際に必ず父が問いかける「幸せか?」子供たちは笑顔で答える「幸せよ」

作り笑いと虚構で固められた接待に気づいた父は「お前たちは信用できない」と悲しみをぶつける。
そりゃあそうだろう…子供に期待を押し付け、期待通りにならないものは認めない彼には現実を受け止めることが出来ないんだから。だから子供たちは「真実はパパには受け止め切れない」と返す。それでも、と真実を聞かされた父はやはり受け止め切れない。
孤独に耐えかね薬物で死んだ画家に「それは私の息子じゃない」と連呼するのだ。

画家の人は父に特に厳しくしつけられていて、幼少時の過去のシーンで父に怒鳴られ始めると、表情が張り付いたような微笑で固まるのがあまりにも痛々しいし、自分とシンクロして泣きそうになった。あまりの恐怖と悲しさに、顔も心もこれ以上何も感じないように、冷たく固まってしまうのだよ。それが親には、ナメられてる、ふざけてると見えて「しつけ」がさらにエスカレートする。兄弟たちはその様子に「もう限界」と言い捨て、その場から立ち去っていく。

結局オチとしては、持病の発作で倒れた父が、夢の中で子供らの本音を聞いて反省し、死んだ画家の息子に謝罪し、元気になった後で家族集まって団らんってシーンで終わるのだけど、夢で皆の心が通じ合ってハッピーエンドとかそれこそ夢物語だろ!とココだけ不満だった。
ら、この映画、20年以上前に作られた原作映画があったらしく、そっちは団欒ハッピーじゃなくて
父が帰宅後妻の墓前で「みんな元気だった」と伝えるとゆーものらしい。
死んだ息子は原作だと同性愛者で、それが家族に打ち明けられず苦悩した上での自殺らしい。
確かにコッチのがしっくり。

親と子が支えあう家族愛映画、には見えない1本でした…
ふつーに見れる人には素敵なストーリーに思えるのかな。

箱庭が壊れた時と、壊れた後の話2011年12月17日

箱庭の住人と、鏡の境界についてメールをいただいたので、ちょうど良い機会だし
箱庭崩壊とその後について、纏めて説明しようと思います。
てゆか今まで何で説明してなかったんだよ私…箱庭こわれてもうすぐ2年やぞ…orz

以下ひらたーーく用語の説明
・箱庭:いわゆる自我
・箱庭の住人:箱庭の中に居る、思考や感情のパターン
・魔法使い:自分の意識
箱庭を図解するとこんなかんじ↓
自我の境界は鏡で出来ていて、鏡で囲まれている箱庭はミラーハウスのように無限の広がりを
見せますが、すべてが自分の投影です。その中でスカーのしっぽ…箱庭の住人達が日常的に
騒いでいます。魔法使いはこれが世界であり自分の生きる現実だと思ってます。
ところが、その仕掛けに気づいた魔法使いは、あるとき鏡の境界をなくしてしまいます。
シャボン玉が割れて、中の空気と外の空気の区別がつかなくなるように、境界を失った箱庭は
なくなってしまいます。何にも区切られない空の世界を魔法使いは知ります。
その後すぐにスカーたちがやってきて、箱庭の世界に戻されることになりますが
魔法使いはそれ以降「箱庭を外から見る視点」を手に入れます。俯瞰することができるようになって
箱庭の住人とのお付き合いの仕方がチョット変わったとか。スカーをちゃんと癒してあげられたら
鏡の境界はどんどん薄くなるんじゃないか、と最近は考えているようです。

おいてきぼりはどっち2011年08月01日

東日本の大地震からもうすぐ5ヶ月。
もう5ヶ月なのか、まだ5ヶ月なのか、ちょっとよくわからないので
一時的なものなのか、きっかけになったのか、まだ自分でも判別が
つきかねるのですが、地震を境に興味がなくなったものが
いくつかあるなぁって思った。

それに関してまるで頓着が無くなったのではなく
これまでの水準で、もう満足してしまったようなのだ。
興味がない、というよりは、もっともっと、という苦しさに似た貪欲が消えた。
自分ひとりを満足させる世界をもっと強固にするための、鎧のようなもの。
危うく崩れやすいそれが壊れないように、いつも張り詰めている。
もう充分じゃない。もうそれ以上強くしなくてもいいじゃない。
まだそんなことやってるの?

もういいや、ってなったとき、崩れる怖さも、もっと欲しい苦しさも消えた。

テレビのCM、ファッション雑誌、電車の広告
たくさんの鎧が「もっと強くしなくちゃダメだよ!」と声高に訴えている。
まだそんなところにいるの?って呼びかけてくる。
私は、その声に、まだそんなことやってるの?って返す。

おいてきぼりはどっち