マインドの一段上2011年05月18日

ネットだとついったーにお熱を上げすぎていたので(笑)クールダウン&気分転換も兼ねて
今日は色々な場所を一巡りしてみたり、周りから飛び込んでくるお話に触れてみたり。

なんだか、やっぱり、今までのことは予行練習だったんや~…じゃないんですけど
「今まで通り」が通用しなくなってきて、うまくいってない人たちと
うまくいかない仕組みに気づいていて、別のスタンスを取っている人に
分かれてるなぁと思った1日でした。もちろん自分も含めて。

私は前者と後者の間をいったりきたりしているトコなんですが
この、二分されっぷりがホントにクッキリしすぎていて、水と油のごとく混じらない。
ズガンと前者にハマってガッツリ乱れるか、フワっと後者に上がってスルリと安定するかの
どちらかで、我ながら苦笑しつつも、面白いなと思っておるところです。

ツライなーっていう目に遭っているときは、どれも共通して頭の中がザワザワしていて
何かを責めたり、怖がったりしていて、その反面ものすごく寂しがっている。
それからナントカして逃れたくて、必死に編み出した自分の思考こそが味方であり
正義だと信じてる。つまり他は悪で、敵で…だからそれ以外は責めるし、怖いし…の堂々巡り

ところが泥沼化した戦場のようなそのフィールドから少し視点を上げられると
今までの泥沼が夢のようなものだったと気づく。夢から覚めるので、そのとき感じていた
「リアルさ」は消えてしまう。敵も味方もない、ただの、しかしかけがえのない自分たちが見える。
起こることすべてが肯定的に見えるから、色々なことがたやすくなる。

厄介なのは、一旦後者を知るまで、前者は後者の感覚が「存在しない」と思ってること。
夢の中のツラさから脱却するには、夢から覚めるしかない。それに後者の感覚を
一度知れば、また夢のフィールドに埋没しても、もどってこれる…のだけど
夢の中しか知らない人は、夢の外をなかなか認識できない。キツイキツイといいながら
そのまま一生夢のフィールドで戦い続けることだってありうる。

伝えるのが難しいんだけど、色んな方面でラクなのは、明らかに後者なんだよなぁ…
後者なんだけど、気が付くと前者にすべり転げている、私の足元の危うさよ(苦笑)

省みる時2011年04月05日

今日の日記は、とても個人的なリアリティをベースにした見解なので、これから書く内容に含まれる
意図を共有できる方は、たくさんは居ないだろうと思ったうえで書いています。あと長い。
私は東日本在住なので、それ以外の地域の感覚を認識することはできないのだけど、
いまの社会状況を見ていると、コレ、前にもあったな。という感じがすごくしていて振り返ったところ
これまでの個人的経験の中で、既にこの事態の予行練習が成されていた事に気が付いた。
予習が十分に出来ていたおかげで、今一緒に暮らしている人や、実家の家族と比べると
たぶん私はずいぶん落ち着いてる方だと思う。
過去の自分の人生上において、こういう根本的な大きな崩れが過去に2度ありまして、表面的には
どちらも「不幸」のヒトコトで語られてしまう現象だったのだけど、そのどちらとも、次のステージと
いうか、レベルというのか…ともかく、一段階上に上がるうえで物凄く良いきっかけになったのです。
一段階上にあがると、精神的にも、物理的にも、感情的にも無理が無くなるので
自分も相手もラクになれるし、ツラい目に合う数も減る。楽しい事が増えるし、周囲からも好意的に
受け入れられるようになる。正にレベルアップ。
今まで「当たり前」と信じてきたものが崩壊するというのは、「当たり前」のウラで通してきた
おかしな事や、無理や我慢が限界突破して立ち行かなくなったから起こるわけで、つまり崩壊は
無理や我慢を見直してより負担の無い選択を取る時期が来ているぞというサインなのです。
なので崩壊を迎えたとき、崩壊前の状態を維持しようとすればするほど状況は厳しくなります。
だってそれもうムリなんだもの。ムリが限界突破してるんだから同じ事がもうできるはずも無い。
崩壊を迎えたとき、大事なことは、まずその崩壊した事実を認めること。次にどこに無理が生じて
いたのか、閉じ込めていた不都合は何か本当に求めていたものは何か、徹底的に洗い出して
認識する。すると独りよがりや、復讐心や、欠乏感が・・・もうマジで最悪!とウンザリしちゃうような
人間の醜い部分が沢山出てくるはず。
これを認めなかったり、別のエゴや復讐心で覆い隠そうとするとまた振り出しに戻ってしまうので、
ここできちんと受け入れきるまでが踏ん張りどころ・・・と書くと歯を食いしばりそうになりますが
実のところ食いしばるほど受け入れられなくなるのでダランとしてるのが一番の近道だったり(笑)
沢山のピンチやチャンスが時間の流れに乗ってやってくる中で、何年経っても同じことでグルグル
してる人はだいたいここで躓いています。この期間が最もツラい時でもあるので、逃げる人も多い。
これが済むと、かなりスッキリしているはず。
そしてそのたび出る答えは大抵、「信じる」ということなんじゃないでしょうか。
自分がどれだけありのままの自分を信じていなかったか気づくはず。結局のところ、あとはもう
「自分が」本当にいいなと心底感じたこと、やりたいことを、思うままやるだけという所に帰着する。

レベルアップの鍵は、自分以外の誰かの判断に振り回されれないこと。
自分以外の誰かの判断を、認めること。一見矛盾しているけど、どちらも中心には信頼があります。
危険なのは、依存を信頼と勘違いすること。信頼は、エネルギーの出所がどちらも自分にあるので
敵を作らないし、揺らがない。自分に対する責任を自覚しているので誠実。
依存は信頼と似て非なるもので、自分からエネルギーを出さないので、無責任で揺らぎやすく
常に不安にかられている。少しでも不都合があれば「~~のせいだ」と言う準備ができている。

多分、社会がレベルアップの時を迎えているんだと思う。
個人の内面と社会全体では規模が全然違ってはいるものの、起こっている流れとしては
基本的に同じものなのではないかと。
この先沢山の見たくないものが、まだどんどん出てくると思います。そのとき、糾弾と言い訳の
応酬に終始して結局振り出しに戻るのか、最悪な事実を認めて受け入れたうえで、同じ事を避ける
べく信頼をベースに誠実なやりとりを築いていくのか、道が分かれていく。
きっと個人の意識レベルの単位で始まります。共感する者同士が集まって二極化していく。
そういう岐路に、今立たされているような気がします。

覆水不返2011年03月25日

東北関東大震災と言われる大地震から早2週間。
ブログパーツのついった窓がぎゅんぎゅん回転してるので一目瞭然ですが
余震や停電はあるものの、ナスは元気に暮らしております。

大地震のときは屋外に居てテレビもラジオもなく電話も通じずの不安の中
唯一情報源になってくれたのが、かろうじて繋がるツイッターでした。
震源付近で地震にあった人の安否情報がすぐにわかるのにどれだけ心救われたことか。
肩書きも所属も関係なく、個人から出る情報が直接見られるというのもスゴイですね。
そんなこんなで2週間、周囲のさまざまな状況を伝える情報や
実際自分の身近で起こっている物事の中に居て思ったこと。

たぶん、この大地震は、未来における「単なる不幸な出来事」にはならないんじゃないか。
被災地が復興したら、あとは地震前の元通りの日常が戻ってくる…とは思えないのです。
…こう書くと今の不幸な状態がずっと続くのかと思われそうだけど、そうじゃなくて
個人、全体、物理、精神、生活経済etcにおいて変化せざるをえない状況に立たされている。
ということです。
今回の地震で、良くも悪くも見えなかったものが見える場所に出てきた。
当たり前だと思っていたことが、そうじゃなかった。犠牲や危険、無関心の上に成り立っていた。
(なんだかFFTのラムザみたいだな!w)
忘れていた人の温かさや、まっとうな心は、誰にでもちゃんと存在しているのを教えてもらった。

すべての復興が終わったとき、地震の前と同じ状態に辿り着くのか、否か。
犠牲と危険と無関心の上に成り立つ生活をこのまま享受するのか、別の道をいくか。
他人を大切に思う心、誰かに大切に思われたいと思う心にフタをするのか、別の道をいくか。
今からの全員の知恵と選択にかかっていると思う。

「選択なんて・・・自分は関係ないから誰か代わりにやっといてよ」が通じにくくなって
きているのかな。それは選択の放棄なのではなく、自分の人生を他人に預ける選択を
していると気づいている人はどれ程いるのだろう。
同様に、自分ひとりではできないことを、実に沢山の人や物事に預けているお陰で
今の自分が成り立っている。逆に自分が実に沢山の、今の誰かや物事を成立させている。
誰1人、辞退などできない。

リスペクトさん2011年03月03日

前回の日記にひきつづき、自分の中にいるボスの話。
ボス…もとい、各々自分の現実を苦しめる、固定された思考パターンと対峙する「戦友」は
私の周囲に何人かいらっさるのだけど、そういうコトを漫画という表現手段で
説明しつつ世に発信している方がいる。

松本英子さんとゆーイラストレーター兼漫画家さん。
ブレイク中の漫画「聖★おにいさん」を連載している「モーニングツー」で
おにいさんと並んでずっとロングラン中のマンガ「荒呼吸」を連載されている。
おにいさんも面白いけど、コレ目当てで毎月モーニングツーを買ってるようなものです。
モチロン単行本も購入済です。描き下ろしもあったりして面白いです。
カンタンに要約すると、著者の日常生活をネタにしたいわゆるレポモノの漫画で
たべものや、住んでいる町のこと、旅行、趣味、ペットの話題が多いのかな。
そこに時々、それを交えつつ彼女の「対峙」をテーマにした話が描かれていて
そのたびに私はいつもより余計に食い入るように読んでしまうのです。
私が普段自分の中身を探るときは、サクラさんちのマインドパペットをベースにした
箱庭の住人を活用しているのだけど、彼女は彼女なりに、独自の方法で探っておられるよう。
しかしその内容はとても、マインドパペットのそれににている。
原因不明の心身の不調が表に出てきてどうにもならないとき
治癒を「外からもらえる何か」ではなく「自分のなかで訴えているなにか」に求め
自らその中に飛び込み、掬い取り、救いあげる。

平たく言えば箱庭も、彼女のなさってることも、自己分析とか、自己実現と言えるのだけど
こういう言葉を使うと向上心が高いとか、勉強熱心な人のように聞こえてしまう。
でも、本人にとってはそういう張り詰めた目的はなくて、ラクになりたいからしているのだと思う。
少なくとも私は、ラクになりたいから対峙している。

抜け出せない無間地獄のような嫌な現実を、どーにかしたい。同じことで苦しみたくない。
グチったり、誰かのせいにしたり、見ないフリをしていても、それは先延ばしにしているだけで
実はなにの解決にもならない。解消するカギは外でなく、自分の中にあるのを知っている人。
「対峙」にはドラマティックな展開もないし、傍からみたら非常に些細で
ときに馬鹿馬鹿しくさえ見える。しかし本人にとっては、世界を変えるほどの大仕事なのだ。
だって、自分が変わった瞬間、現実世界も変わるのだから。
そういう意識の共有ができる、数少ない戦友として、勝手にリスペクトしております。松本さん。

ボスとの対峙2011年03月02日

少し前に、人の一生はロープレみたいなものだ。的な事を書いたのですが
現在もボスとの戦いは続いています。
戦いがどんな風に展開されていくのかは、やってみないとわからないけど
じわりじわりと、ボスの体力が削られている…そんな手ごたえを感じた出来事があったので
ロープレのコマンド風に置き換えてみた。

シチュエーションはさまざまだけど、私には意識下に
希望を言うと相手に叩きのめされるんじゃないか、っていう呪いのよーな
強い恐怖がこびりついていて、相手との関係を左右する大事な局面になると
「言うべき時に、言うべきことを、ハッキリ言えない」っていう現象をよくひきおこすのです。
別の話にすりかえたり、自分にとって明らかにマズイ事態なのに
問題ないです。と言ってしまったりして
ホントはこうしたいのに…っていう不満を抱えたまま関係を続けてしまう。
最近ではこういう応対の仕方を、空気を読むとか、優しいとか言うのかもしれないけども
少し深く掘ればそれは相手に対しても、自分に対しても不誠実で、未来に対して無責任で
自分の健康にも悪い。しかもツラい出来事が待ってる。
自分の挙動で相手の表情を一瞬でも曇らせるのが怖くてしかたないのだ。
そのためにこれだけのことを犠牲にするのは
どう見ても馬鹿馬鹿しい。なのに、必死でそれを守ろうとする。怖いから。
そうさせる技を持つボスが、自分の中にいるのだ。

対峙の瞬間は、とある打ち合わせの一場面だった。
ボスの発動は、立場が上の人から言われた
「自分では負担しきれない量のお金と時間と労力を全部負担してくださいね。
それで問題ないですよね」という旨の会話。
暴走する不安や恐怖の感情には、冷静に分析した理屈が効く。
私は回避の呪文を心の中で唱える。
「自分の希望を訴えて相手に叩きのめされた過去は、今ここにはもうないのだ。」
ボスの呪いを、私はかろうじてかわし、自分のリスクを説明する選択に出た。
打ち合わせの相手は快く資料を貸してくれ、私の負担を考慮したうえでの進行案が練られた。
苦々しい顔をする人は、誰もいなかった。
結果、私は金銭の負担なく必要な物資と、十分な時間とを手に入れることが出来た。
ボスは一時撤退。同時にボスの防御力は低下し、最大HPが減少した。

…いい結果が出たと思う。
あと何ターン続くか判らないけど、この調子で良い選択をしていけば
自分で作りだしている「苦しい現実」がきっと1つ消える。
そんな戦いの一幕でした。