覆水不返2011年03月25日

東北関東大震災と言われる大地震から早2週間。
ブログパーツのついった窓がぎゅんぎゅん回転してるので一目瞭然ですが
余震や停電はあるものの、ナスは元気に暮らしております。

大地震のときは屋外に居てテレビもラジオもなく電話も通じずの不安の中
唯一情報源になってくれたのが、かろうじて繋がるツイッターでした。
震源付近で地震にあった人の安否情報がすぐにわかるのにどれだけ心救われたことか。
肩書きも所属も関係なく、個人から出る情報が直接見られるというのもスゴイですね。
そんなこんなで2週間、周囲のさまざまな状況を伝える情報や
実際自分の身近で起こっている物事の中に居て思ったこと。

たぶん、この大地震は、未来における「単なる不幸な出来事」にはならないんじゃないか。
被災地が復興したら、あとは地震前の元通りの日常が戻ってくる…とは思えないのです。
…こう書くと今の不幸な状態がずっと続くのかと思われそうだけど、そうじゃなくて
個人、全体、物理、精神、生活経済etcにおいて変化せざるをえない状況に立たされている。
ということです。
今回の地震で、良くも悪くも見えなかったものが見える場所に出てきた。
当たり前だと思っていたことが、そうじゃなかった。犠牲や危険、無関心の上に成り立っていた。
(なんだかFFTのラムザみたいだな!w)
忘れていた人の温かさや、まっとうな心は、誰にでもちゃんと存在しているのを教えてもらった。

すべての復興が終わったとき、地震の前と同じ状態に辿り着くのか、否か。
犠牲と危険と無関心の上に成り立つ生活をこのまま享受するのか、別の道をいくか。
他人を大切に思う心、誰かに大切に思われたいと思う心にフタをするのか、別の道をいくか。
今からの全員の知恵と選択にかかっていると思う。

「選択なんて・・・自分は関係ないから誰か代わりにやっといてよ」が通じにくくなって
きているのかな。それは選択の放棄なのではなく、自分の人生を他人に預ける選択を
していると気づいている人はどれ程いるのだろう。
同様に、自分ひとりではできないことを、実に沢山の人や物事に預けているお陰で
今の自分が成り立っている。逆に自分が実に沢山の、今の誰かや物事を成立させている。
誰1人、辞退などできない。

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