要素の需要と供給2006年08月25日

よく、様々な場所で取り上げられる成功談。
(…主にその多くは、今現在、経済的に裕福である人が多いものだが)
大体の内容を大まかに纏めると
天性の才能が開花した、とか
長年の努力が実った、とか
妙に判りやすいというか
安直(??)な理由のものが多いような気がしてならない。

しばしば努力vs才能のような構図が
背後に潜んでいるような気配のする文章を見かけるが
果たして、努力すれば望みは叶うのかどうか。
才能が無ければ、夢は果たされない幻想でしかないのかどうか。

…自分が思うには
努力が足りれば、でも、才能があれば、でもないと思う。
そもそも、ヒトが認識する努力と才能の境目さえ曖昧な感じがする。

一般的に多量の修練を必要とする作業を
何の苦にも思わない人にとっては、その修練は
努力を必要とするものでは、ないのではないだろうか。
その逆もまた、然りなのであって。

と同時に、タイミングの良し悪しとでもいうか
その人がコレまで生きてきた人生があるからこそ
めぐり合えたきっかけとうものが、
必ず存在すると思う。
どんな生き方をしようと、本人がその生き方を
例えそれが、「不可抗力だ」としても、選んでしまっている限り
出会ってしまう、運命の交差点。

これらの2つ
あるいは、他人の持つ交差点や進行先の影響によって
交じり合った点が
影響を与えて(…あるいは大した影響もなしに)
作り出された結果
様々な未来が、因果が、可能性が
生まれてしまうのだと思う。

人間は、決して自分の未来を
思うように選ぶことなどできはしない。

けれども
少しでも、自分の理想の未来に近づけようと
もがき、足掻き、抵抗する。

それが僅かに、または大いに影響し
未来を変えていくのではないだろうか。

あんまり、自身の才能のせいにするでもなく
運のせいにするでもなく
生きていきたいものだ。

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