ボスとの対峙2011年03月02日

少し前に、人の一生はロープレみたいなものだ。的な事を書いたのですが
現在もボスとの戦いは続いています。
戦いがどんな風に展開されていくのかは、やってみないとわからないけど
じわりじわりと、ボスの体力が削られている…そんな手ごたえを感じた出来事があったので
ロープレのコマンド風に置き換えてみた。

シチュエーションはさまざまだけど、私には意識下に
希望を言うと相手に叩きのめされるんじゃないか、っていう呪いのよーな
強い恐怖がこびりついていて、相手との関係を左右する大事な局面になると
「言うべき時に、言うべきことを、ハッキリ言えない」っていう現象をよくひきおこすのです。
別の話にすりかえたり、自分にとって明らかにマズイ事態なのに
問題ないです。と言ってしまったりして
ホントはこうしたいのに…っていう不満を抱えたまま関係を続けてしまう。
最近ではこういう応対の仕方を、空気を読むとか、優しいとか言うのかもしれないけども
少し深く掘ればそれは相手に対しても、自分に対しても不誠実で、未来に対して無責任で
自分の健康にも悪い。しかもツラい出来事が待ってる。
自分の挙動で相手の表情を一瞬でも曇らせるのが怖くてしかたないのだ。
そのためにこれだけのことを犠牲にするのは
どう見ても馬鹿馬鹿しい。なのに、必死でそれを守ろうとする。怖いから。
そうさせる技を持つボスが、自分の中にいるのだ。

対峙の瞬間は、とある打ち合わせの一場面だった。
ボスの発動は、立場が上の人から言われた
「自分では負担しきれない量のお金と時間と労力を全部負担してくださいね。
それで問題ないですよね」という旨の会話。
暴走する不安や恐怖の感情には、冷静に分析した理屈が効く。
私は回避の呪文を心の中で唱える。
「自分の希望を訴えて相手に叩きのめされた過去は、今ここにはもうないのだ。」
ボスの呪いを、私はかろうじてかわし、自分のリスクを説明する選択に出た。
打ち合わせの相手は快く資料を貸してくれ、私の負担を考慮したうえでの進行案が練られた。
苦々しい顔をする人は、誰もいなかった。
結果、私は金銭の負担なく必要な物資と、十分な時間とを手に入れることが出来た。
ボスは一時撤退。同時にボスの防御力は低下し、最大HPが減少した。

…いい結果が出たと思う。
あと何ターン続くか判らないけど、この調子で良い選択をしていけば
自分で作りだしている「苦しい現実」がきっと1つ消える。
そんな戦いの一幕でした。

リスペクトさん2011年03月03日

前回の日記にひきつづき、自分の中にいるボスの話。
ボス…もとい、各々自分の現実を苦しめる、固定された思考パターンと対峙する「戦友」は
私の周囲に何人かいらっさるのだけど、そういうコトを漫画という表現手段で
説明しつつ世に発信している方がいる。

松本英子さんとゆーイラストレーター兼漫画家さん。
ブレイク中の漫画「聖★おにいさん」を連載している「モーニングツー」で
おにいさんと並んでずっとロングラン中のマンガ「荒呼吸」を連載されている。
おにいさんも面白いけど、コレ目当てで毎月モーニングツーを買ってるようなものです。
モチロン単行本も購入済です。描き下ろしもあったりして面白いです。
カンタンに要約すると、著者の日常生活をネタにしたいわゆるレポモノの漫画で
たべものや、住んでいる町のこと、旅行、趣味、ペットの話題が多いのかな。
そこに時々、それを交えつつ彼女の「対峙」をテーマにした話が描かれていて
そのたびに私はいつもより余計に食い入るように読んでしまうのです。
私が普段自分の中身を探るときは、サクラさんちのマインドパペットをベースにした
箱庭の住人を活用しているのだけど、彼女は彼女なりに、独自の方法で探っておられるよう。
しかしその内容はとても、マインドパペットのそれににている。
原因不明の心身の不調が表に出てきてどうにもならないとき
治癒を「外からもらえる何か」ではなく「自分のなかで訴えているなにか」に求め
自らその中に飛び込み、掬い取り、救いあげる。

平たく言えば箱庭も、彼女のなさってることも、自己分析とか、自己実現と言えるのだけど
こういう言葉を使うと向上心が高いとか、勉強熱心な人のように聞こえてしまう。
でも、本人にとってはそういう張り詰めた目的はなくて、ラクになりたいからしているのだと思う。
少なくとも私は、ラクになりたいから対峙している。

抜け出せない無間地獄のような嫌な現実を、どーにかしたい。同じことで苦しみたくない。
グチったり、誰かのせいにしたり、見ないフリをしていても、それは先延ばしにしているだけで
実はなにの解決にもならない。解消するカギは外でなく、自分の中にあるのを知っている人。
「対峙」にはドラマティックな展開もないし、傍からみたら非常に些細で
ときに馬鹿馬鹿しくさえ見える。しかし本人にとっては、世界を変えるほどの大仕事なのだ。
だって、自分が変わった瞬間、現実世界も変わるのだから。
そういう意識の共有ができる、数少ない戦友として、勝手にリスペクトしております。松本さん。

コマンドミッション!2011年03月08日

ロクゼロを遊んでから隠居状態じゃなくてちゃんとハンターとして活躍している
エックスさんが見たい…つまりXシリーズの何かで遊びたくて、でもどのソフトもなかなか
入手できなくてジリジリすること約半年が経過していたのですが、ようやく手ごろな値段で
1本手に入れました。ロックマンXコマンドミッション(タイトル長い)略してコマミ。
やっとゼロシリーズから念願のXシリーズに逆流することができた1本目がゼロ時代に最も近い
(とされる)1本だったのがなんともいえないわ…

アクションの定番ロックマンシリーズの中でもRPGという変り種。アクションをRPGにして
果たして面白いものができるのか!?実際遊んだ感想は・・・ズバリ、面白かった!!!
・・・まぁ、そもそもゼロの予備知識としてXを色々調べていて、評判のソフト、不評のソフト
それぞれあったんですが良作と言われた中にコマミがありまして、動画サイトでシナリオも全部
見ちゃったんだけどそれがすごく面白い!!と思ったうえで購入したので間違いなかったん
ですけどね(笑)ゼロもだけどロックマンシリーズに関してはいつも中身知った上で購入っていう
ヘンな遊び方をしてるね・・・

おなじみのダッシュやチャージショットといったアクションが上手に使われていて
なおかつRPGのコマンドとしてもしっかり機能してました。フィールドのダッシュ移動が気持ちいい。
ターン順が見える構造と各ボタンに割り当てられたサブウェポン、フォースメタル、
キャラごとに用意された特徴的なアクショントリガーの組み合わせで色んな戦術ができるので
RPGにありがちな、勝つためにとにかくレベル上げとか、戦闘中とりあえずひたすら「たたかう」を
選ぶツラさが全くないのが凄く個人的に嬉しくもあり楽しかったです。とてもよく出来てるなと。
隠しボスや隠し武器といったオマケも充実していて燃えます。
ただチョット古いゲームなのもあって、今の時代から見るとキャラのCGモデルが若干微妙かも。

Xシリーズは殆どのシナリオや設定諸々の情報を知識としては持っているんだけど
操作感覚的な楽しさや不満点や、実際にそこまで進んでから見る感動ってのは
絶対に遊んでみないとわからないので、こうして1本でも遊べたのはとても嬉しい。
だってXシリーズのゼロさんの「冷静だけど根は熱い。クールだけど短気でガサツ」とかね
言葉だけだと一見矛盾しちゃってわかりづらい特徴もね、遊べば一発で理解できるからね!(笑)
あと、大事な見所、エックスさんとゼロさんの友情もね…胸が熱くなります。
もうお前ら結婚してしまえばいいと思うよ。
(注:お前ら結婚しろは男女種族問わず強い友情を称賛する言葉としてナスは常用しています)
他にもマッシモさんやスパイダーとか、グっとくるシーンがたくさんで
燃える展開大好きな私としては大満足なシナリオでした。

おまけらくがき。
Xシリーズのハンターはアクセルが一番描きやすいわぁ

覆水不返2011年03月25日

東北関東大震災と言われる大地震から早2週間。
ブログパーツのついった窓がぎゅんぎゅん回転してるので一目瞭然ですが
余震や停電はあるものの、ナスは元気に暮らしております。

大地震のときは屋外に居てテレビもラジオもなく電話も通じずの不安の中
唯一情報源になってくれたのが、かろうじて繋がるツイッターでした。
震源付近で地震にあった人の安否情報がすぐにわかるのにどれだけ心救われたことか。
肩書きも所属も関係なく、個人から出る情報が直接見られるというのもスゴイですね。
そんなこんなで2週間、周囲のさまざまな状況を伝える情報や
実際自分の身近で起こっている物事の中に居て思ったこと。

たぶん、この大地震は、未来における「単なる不幸な出来事」にはならないんじゃないか。
被災地が復興したら、あとは地震前の元通りの日常が戻ってくる…とは思えないのです。
…こう書くと今の不幸な状態がずっと続くのかと思われそうだけど、そうじゃなくて
個人、全体、物理、精神、生活経済etcにおいて変化せざるをえない状況に立たされている。
ということです。
今回の地震で、良くも悪くも見えなかったものが見える場所に出てきた。
当たり前だと思っていたことが、そうじゃなかった。犠牲や危険、無関心の上に成り立っていた。
(なんだかFFTのラムザみたいだな!w)
忘れていた人の温かさや、まっとうな心は、誰にでもちゃんと存在しているのを教えてもらった。

すべての復興が終わったとき、地震の前と同じ状態に辿り着くのか、否か。
犠牲と危険と無関心の上に成り立つ生活をこのまま享受するのか、別の道をいくか。
他人を大切に思う心、誰かに大切に思われたいと思う心にフタをするのか、別の道をいくか。
今からの全員の知恵と選択にかかっていると思う。

「選択なんて・・・自分は関係ないから誰か代わりにやっといてよ」が通じにくくなって
きているのかな。それは選択の放棄なのではなく、自分の人生を他人に預ける選択を
していると気づいている人はどれ程いるのだろう。
同様に、自分ひとりではできないことを、実に沢山の人や物事に預けているお陰で
今の自分が成り立っている。逆に自分が実に沢山の、今の誰かや物事を成立させている。
誰1人、辞退などできない。